2025年12月29日 直原裕naohara hiroshi

前回まで6回にわたり「記紀」の中の国譲り神話を取り上げてきました。国譲りとは、国作りの指導者で国津神の頭領である大国主(おおくにぬし)大己(おおあな)(むち)神)が、天孫瓊瓊(にに)(ぎの)(みこと)に国の統治を譲ること。ということは瓊瓊杵が天界から降臨することを前提としています。国譲り神話が出来る前に天孫降臨神話が存在していたということです。これから記紀神話の核心とも言うべき天孫降臨神話の世界に分け入っていこうと思います。

私は以前から、

・初めは天照大神と素戔嗚(すさのお)誓約(うけい)で生まれた(おし)()(みみ)が天降りする予定だったのに、忍穂耳に子の瓊瓊杵が生まれたというただそれだけの理由で瓊瓊杵が天降りすることになったという、何とも好い加減とも見えるストーリーはどうして生まれたのか。何を意味しているのか。

・瓊瓊杵の降臨地はなぜ日向なのか、どうして大国主が国譲りをした出雲ではないのか。辻褄の合わない話を、記紀編纂者はどうして作ったのか。

・天孫降臨神話にはところどころに、今も天皇家の祖神天照大神を祭っている伊勢神宮の影が見え隠れしている。記紀編纂者は伊勢神宮の創建をどのように考え、どう描こうとしたのだろうか。

・天孫降臨神話にはいくつかバージョンがあって、多くの専門家によると、古いバージョンでは瓊瓊杵に天降りを命じる主体は高皇産(たかみむす)()尊だったのに、ある時期から天照大神に替わったとされている。なぜ命じる神は替わったのか、誰がどういう理由で替えたのか。

などの疑問をもっていました。天孫降臨神話は記紀編纂時に一夕に成立したのではなく、長い時間をかけて形成されたものと私は想像しています。これらの疑問の答えを探りながら、天孫降臨神話がどのように生まれ、どのように変遷したのかこれから考えていこうと思います。

1 天孫降臨神話の各バージョン

天孫降臨を描いた神話として、「書紀」神代第九段に本文ほか4つの一書があり、「古事記」を合わせると6つのバージョンがある。これらを、瓊瓊杵に天降りを命じる神(司令神)が高皇産霊であるもの、天照大神であるもの、両者であるものに分類し、要約し、それぞれ特徴や含意を見ていくことにする。(要約は、「書紀」については井上光貞監訳の中公文庫版、「古事記」については武田祐吉訳注の角川文庫版をベースとしている。)

 (1) 高皇産霊を司令神とするバージョン

「書紀」神代第九段本文の要約

天照大神の皇子天忍穂耳尊は、高皇産霊尊の(むすめ)(たく)(はた)千千姫(ちぢひめ)を娶って、瓊瓊杵尊を生んだ。そこで皇祖の高皇産霊尊は格別に可愛がり、ついにこの皇孫瓊瓊杵尊を立てて葦原(あしはら)中国(なかつくに)の君主にしようと思った。

(省略:国譲りの話)

高皇産霊尊は、真床追(まとこおう)(ふすま)で皇孫瓊瓊杵尊を覆いかぶせて地上に降らせた。皇孫は、(あまの)磐座(いわくら)を離れ、(あめの)八重(やえた)(なぐも)をおし分けて、日向の()高千穂(たかちほの)(たけ)に天降った。さらに(くし)()二上(ふたがみ)の天浮橋から国まぎ(国を求めること)のため歩き、()()の長屋の笠狭碕(かささのみさき)に到達した。 皇孫がその土地の人、長狭(ながさ)に「国があるかないか」と尋ねると、長狭は「ここに国があります。ゆっくりお遊びください」と答えた。それで皇孫はここに滞在した。皇孫がこの国で大山祇(おおやまつみ)神の女である鹿()葦津(しつ)(ひめ)〔別名(かむ)()田津(たつ)(ひめ)、また別の名を木花之開耶姫(このはなのさくやびめ)〕を()したところ、姫は一晩で妊娠した。皇孫がこれを疑ったため、姫は怒り産屋にこもって、「本当に天孫の胤なら火が(そこな)うことはないでしょう」と言って火をつけた。火災の中から、火闌降(ほのすそり)命、次に(ひこ)()()()()尊、次に(ほの)(あかり)命が生まれた。それから久しくして瓊瓊杵が没し、日向の可愛()の山稜に葬られた。

「書紀」神代第九段一書第四の要約

高皇産霊尊は、真床覆(まとこおう)(ふすま)を瓊瓊杵尊に着せ、(あまの)(いわ)()を引きあけ、天八重雲をおし分けて地上に降らせた。時に大伴連の遠祖の(あまの)(おし)()命は、来目部(くめべ)の遠祖の天槵津(あめくしつ)大来目(おおくめ)をひきいて、背に天磐靫(あまのいわゆき)を負い、腕に()()高鞆(たかとも)を着け、手に天梔(あまのはじ)(ゆみ)(あめの)羽羽(はは)()をもち、八目鳴(やつめのなり)(かぶら)の矢をそえ持ち、また(かぶ)(つちの)(つるぎ)をおびて天孫の先導をした。やがて一行は日向の襲の高千穂の槵日の二上峯の天浮橋に着き、さらに国まぎして、吾田の長屋の笠狭の御碕に着いた。

「書紀」神代第九段一書第六の要約

天忍穂耳尊は高皇産霊尊の女の栲幡千千姫(よろず)(はた)(ひめ)命を娶り、天火(あまのほの)(あかり)命、次に瓊瓊杵尊を生んだ。高皇産霊尊は瓊瓊杵尊を葦原中国に降らせようとした。

(省略:高皇産霊尊が葦原中国の偵察に雉を送る話。国譲りの話の本体は、本文バージョンと同じという意味で「云々」とだけ書かれている。)

高皇産霊尊は、皇孫瓊瓊杵尊に真床覆衾を着せ、天八重雲をおし分けて降らせた。降臨したところを日向の襲の高千穂の(そほりの)(やまの)(たけ)という。瓊瓊杵尊はそこから吾田の笠狭の御碕に着いた。 天孫がそこを巡幸していて出会った長狭という人に「この国は誰の国か」と尋ねると、長狭は「私、長狭が住んでいる国です。いま天孫に献上します」と申し上げた。また、見かけた少女は誰の子かと尋ねると、「あれは、大山祇神の女たちで、姉を(いわ)(なが)(ひめ)、妹を木花開耶姫、別名(とよ)()田津(たつ)(ひめ)といいます」と答えた。皇孫がこのうち豊吾田津姫を幸すと、姫は一晩で妊娠した。このため皇孫は疑った。云々(本文や他の一書の内容と同じなので省略したという意味)。(ほの)()(せり)命、次に()(おり)尊、別名彦火火出見尊が生まれた。これで皇孫の胤であることが判明した。しかし豊吾田津姫は皇孫を恨んでことばを交わそうともしなかった。

着目したい点とそれについて考えられることを列挙すると次の通りだ。

  1. 本文において、高皇産霊は瓊瓊杵を可愛がり、忍穂耳ではなく初めから瓊瓊杵を天降りさせようとする。一書第四では忍穂耳への言及がない。一書第六では、忍穂耳が(たく)(はた)千千姫(ちぢひめ)を娶り、瓊瓊杵の前に(ほの)(あかり)命を()したとしている。忍穂耳の第一子が火明命ならば、火明命を天降りさせればよいものをそうはせず、やはり瓊瓊杵を天降らせる。この火明命は、「書紀」本文、一書第二、一書第三、一書第五で木花開耶姫(このはなのさくやびめ)の火中出産で生まれる火明命と同一神だろうか。系譜の混乱ではないだろうか。この記述は後述の「古事記」にもある。
  2. 本文、一書第四、一書第六ともに、高皇産霊は瓊瓊杵に真床追(まとこおう)(ふすま)を被せて天降りさせる。大林太良は『日本神話の起源』において、新羅の(しゅ)()(金官加羅国の始祖)神話で首露は天から金の卵で降下ししとねの上に置かれた、突厥の新王はフェルトのカーペットの上に載せられた等を例示し、真床追衾にくるまって天降りする話はアルタイ系遊牧民文化における新しい王の即位儀礼の名残であろうと述べている(同書p.202)。真床追衾は、天孫降臨神話がもともと北方ユーラシアから朝鮮を経由して日本に入ってきたことを示す重要な証拠と言えるだろう。それが残っている本文、一書第四、一書第六は、古いバージョンの天孫降臨神話であると考えられる。
  3. 本文、一書第四、一書第六ともに、瓊瓊杵は日向の()の高千穂峯に天降りする。一書第四ではさらに(くし)()に、一書第六では添山(そほりのやまの)(たけ)に着く(後述の一書第一では槵触(くしふる)(たけ)、一書第二では槵日、「古事記」では久士(くし)布流(ふる)多気(たけ))。ここでも大林太良は先の本で、クシは南朝鮮の()()峰と同じ、ソホリは朝鮮語の都Seoulと同じとし、天孫降臨神話が朝鮮の開国神話と同源であると論じている(同書p.200)。(だとすると、瓊瓊杵が降臨した高千穂は宮崎県北部の高千穂なのか、南部の霧島なのかと考えても仕方がないということになる。)瓊瓊杵はそこから国まぎして()()の長屋の笠狭碕(かささのみさき)に着く(写真20)。本文及び一書第六は、このあと木花之開耶姫を娶り(ひこ)()()()()らが生まれる話につながっていく。そうすると、瓊瓊杵の降臨地が、大国主が国譲りをした出雲ではなく日向なのは、日向神話に出てくる木花開耶姫の話を取り入れるためだったのではないかと考えざるを得ない。
  4. 本文と一書第六では、天孫降臨の話の前に国譲りの話が置かれている。日向に天降りするのに、出雲で国譲りがなされたことについて、何ら説明も辻褄合わせもない。これは、日向に天降りする話が出来る前に、別途出雲での国譲りの話が確立されていたことを示していると考えてよいだろう。天孫降臨神話を作った人たちにとって、出雲での国譲りも日向への天降りも、それはそれこれはこれとして、ともに必要だったのだ。
  5. 本文、一書第四、一書第六ともに、天孫降臨の場面では天照大神は登場しない。天照大神は、本文冒頭で瓊瓊杵の血筋を説明するために登場するだけである。このことについて岡正雄は「日本民族文化の形成」において、「天照はただ、天照の子忍穂耳と高皇産霊の女、幡千々媛とが結婚して天孫瓊瓊杵が生まれるという、この点にのみ関係しているといっても過言ではないだろう。すなわち、高天原神話の主神は高皇産霊と考えざるをえない」(同書p.6)と述べている。また、溝口睦子は『王権神話の二元構造』において、「筆者はこの冒頭の系譜は、二系(溝口によれば、記紀神話はムスヒ系とイザナキ・イザナミ系の二元的な神々によって構成されている。天孫降臨については、それぞれタカミムスヒ系とアマテラス系の二系の神話があるとしている。)の統合を図りアマテラスの皇祖神化に降臨神話を適合させるために作られた、いわば苦肉の策であって、本来のタカミムスヒ系降臨神話にはなかったものであろうと推測する」(同書p.86)と述べている。冒頭の一文は「書紀」編纂時に付け加えられたのだろう。この一文を取り除いた元の本文には、天照大神も忍穂耳も全く登場していなかったことになる。一書第六の冒頭で、瓊瓊杵を忍穂耳の子であると説明しているが、この一文も同様に後で付け加えられたと思われる。
  6. 本文と一書第六では、瓊瓊杵が吾田で、土地の姫、木花之開耶姫を()し、彦火火出見を含む子が生まれる様が描かれている。姫の別の名に含まれる鹿()()や吾田は南薩摩地方の地名だ。ここに描かれた木花之開耶姫の一夜妊娠や火中出産は、日向神話に元からあってよく知られた話だったのだろう。本ブログ第14回で述べたように、天皇家には瓊瓊杵-彦火火出見父子の始祖伝承があったと私は考えている。天孫降臨神話を作った人たちは、瓊瓊杵は天界から降ったとする一方、彦火火出見については日向神話を取り入れ瓊瓊杵と木花之開耶姫の子とすることでその出自を具体化しようとしたのではないか。
  7. 一書第四において、大伴氏の遠祖(あまの)(おし)()と来目氏の遠祖天槵津(あめくしつ)大来目(おおくめ)が瓊瓊杵に付き従っている。天忍日が背負う天磐靫(あまのいわゆき)などの武具は、二神が完全装備の武人姿であることを表している。古来大王を守護してきたと自負する、軍事氏族の大伴氏と久米氏の面目が、高らかに示されているようだ。天忍日と大来目の随従は、「書紀」の人代の初めを飾る神武東征において(ひの)(おみの)(みこと)と大来目が神武に付き従うことに対応している。一書第四と神武東征神話とは関連している。同時に出来た話と思われる。
  8. 一書第四には、瓊瓊杵が木花開耶姫を娶って彦火火出見らを生す話が一切含まれていない。瓊瓊杵の血筋についても記述がない。高皇産霊が瓊瓊杵を真床覆衾にくるみ天降りさせた、それに大伴と久米の祖神が付き従ったというだけのシンプルなストーリーだ。これが天孫降臨神話の原形に近い姿ではないかと想像される。
  9. 木花之開耶姫から生まれた子は、本文では、火闌降(ほのすそり)、彦火火出見、火明であるが、一書第六では、(ほ)(す)(せり)(ほ)(おり)(別名彦火火出見)とされている。この後取り上げる一書第二では、火酢芹、火明、彦火火出見(別名火折)、「古事記」では、(ほ)(でり)火須勢(ほすせ)(り)(ほ)遠理(おり)(別名日子穂穂出見)である。このほか、一書第三では、火明、(ほ)(すすみ)、火折彦火火出見、一書第五では、火明、火進、火折、彦火火出見となっている。このようにバージョンによって少しずつ異なる。これは何を意味しているのだろうか。恐らく記紀編纂時に相異なる様々な伝承があったのだろう。日向神話を取り入れ彦火火出見を木花之開耶姫の子としたのは、記紀編纂時ではなくもっと古い時代だったと考えられる。

(2) 天照大神を司令神とするバージョン

「書紀」神代第九段一書第一の要約

(省略:国譲りの話の前半(天照大神が葦原中国平定のため天稚彦を送ったが不首尾に終わる話))

天照大神は、思兼(おもいかね)神の妹の万幡(よろずはた)豊秋津媛(とよあきつひめ)命を天忍穂耳尊に娶らせて、葦原中国に降ろした。天忍穂耳尊は天浮橋に立って国がまだ乱れているのを見て天上に還り、降れなかった状況を報告した。

(省略:国譲りの話の後半(天照大神が武甕槌と経津主を送り国譲りを成就させる話))

天照大神が勅を下して(再び)天忍穂耳尊を降ろそうとしたとき、皇孫瓊瓊杵尊が生まれた。このため天忍穂耳尊の奏上によって、大神は「この皇孫をもって天忍穂耳尊に代えて降ろそうと思う」と仰せられた。

天照大神は、瓊瓊杵尊に、八坂瓊曲(やさかにのまが)(たま)八咫(やたの)(かがみ)草薙(くさなぎの)(つるぎ)の三種の宝物を下賜した。また、中臣の上祖天児屋(あめのこやね)命、忌部の上祖(ふと)(だま)命、猨女(さるめ)君の上祖天鈿女(あまのうずめ)命、鏡作の上祖石凝(いしこり)(どめ)命、玉作(たますり)の上祖玉屋(たまや)命のあわせて五部(いつとものお)の神を伴として配した。そして瓊瓊杵尊に勅命を下して、「葦原の千五百(ちいお)(あき)の瑞穂国はわが子孫が君主となるべき国である。(なんじ)皇孫よ、これから行ってこの国を治めなさい。行矣(さきくませ)(行きなさい)。天つ日嗣(ひつぎ)が栄えるであろうことは、天地とともに永久につづき、窮まることはないであろう」と仰せられた。

瓊瓊杵尊が降りようとしていると、異形の神が(あまの)八達之衢(やちまた)(道がいくつにも分かれている辻)に立っているとの報告があった。そこで何のために来ているのか問うため天鈿女に行かせた。その神は「天照大神の御子神が降臨すると伺ったのでお迎えするために来た。私の名は猨田彦(さるたひこ)大神という。私が先導する」と答えた。天鈿女がどこに向かうのか尋ねると、猨田彦は「天神の御子は日向の高千穂の槵触(くしふる)(たけ)に着くだろう。私は伊勢の狭長(さな)()の五十鈴の川上に行く」と答え、そして「私をこの世に顕わし出したのは他ならぬお前である。だからお前は私を送り届けよ」と申した。天鈿女は帰還して事の次第を報告した。

皇孫は天磐座を離れ、天八重雲をおし分け天降った。約束されたとおり、皇孫は日向の高千穂の槵触峯に到着し、猨田彦は伊勢の狭長田の五十鈴の川上に到着した。天鈿女は猨田彦の乞うとおりにこの神を送った。皇孫は天鈿女に「お前が顕わした神の名を姓氏とせよ」仰せられ、猨女君の名を賜った。

「書紀」神代第九段一書第二の要約

(省略:国譲りの話)

高皇産霊尊は「余は天津神籬(ひもろぎ)と天津磐境(いわさか)を作って余の子孫のために浄め(いわ)おう。天児屋命と太玉命は、この神籬を奉持して葦原中国に降り、余の子孫のために設斎して奉仕せよ」と仰せられ、この二柱の神を天忍穂耳尊の伴として降らせた。

このとき天照大神は、宝鏡を天忍穂耳尊に授け、「わが子よ、この鏡を視るのは私を視るのと同じと考えよ。この鏡と殿を同じくし、床を同じくして、自らを浄め(いわ)う鏡とせよ」と仰せられた。天児屋命と太玉命には、「一緒に殿内に奉仕して、守護し奉れ」と命じた。また、「わが高天原の斎庭(ゆにわ)の稲穂をわが子に下そう」と仰せられた。

高皇産霊尊の女の万幡姫を天忍穂耳に娶らせ、妃として天降らせた。ところがその途中で御子の瓊瓊杵尊が生れた。このため天照大神はこの皇孫を天忍穂耳尊に代えて降そうと思い、天児屋命と太玉命とそのほかの伴の神々などを悉く、お召しものも皇孫に授けた。天忍穂耳尊は天上に帰った。

瓊瓊杵尊は日向の槵日の高千穂峯に降下し、国まぎし、なぎさに接した平地に降り立った。その国の首長の長狭に尋ねると、「勅のままにお取り計らいください」と申し上げた。そこで皇孫は宮殿を建てて滞在した。

海辺で見かけた美人に誰の子か尋ねると、「大山祇神の子で神吾田鹿葦津姫、別名木花開耶姫です。姉に磐長姫がいます」と答えた。皇孫が妻にしようと思うがどうかと仰せられると、姫は父に御下問くださいと答えた。そこで皇孫が大山祇神に問うと、大山祇神は二人の女を奉った。ところが皇孫は磐長姫を醜いと思い返してしまった。磐長姫はこれを恥じて、「私をお召しになっていたら生まれる子はこの世に永らえることができたものを。妹の生む御子の生命は木の花のように散り落ちるだろう」と皇孫に呪いをかけた。

神吾田鹿葦津姫は一夜にして妊娠した。皇孫がこれを疑ったため、姫は出入り口のない部屋を作り、「天孫の御子であったなら、丈夫に生まれるでしょう」と言って火をつけた。炎の中から火酢芹命、火明命、彦火火出見尊、別名火折命が生まれた。

着目点と考察は以下の通りだ。

  1. 一書第一、一書第二ともに、天照大神はまず御子の忍穂耳に天降りを命ずる。ところが天降りの途中で(よろず)(はた)姫(栲幡千々媛の別名)との間に瓊瓊杵が生れたので、天照大神は忍穂耳に代え瓊瓊杵を天降りさせることにする。司令神が天照大神であるとすると、確かに天照大神が初めから子の忍穂耳を飛ばして孫の瓊瓊杵に天降りを命じるというのは不自然だ。だからまず忍穂耳に命ずることにしたのだろう。しかしそのために、途中で瓊瓊杵が生まれたから瓊瓊杵に天降りをさせるよう方針変更するというおかしなことになってしまった。天孫降臨神話を作った人たちにとって、天降りするのははじめから瓊瓊杵に決まっていたのだ。天皇家の始祖伝承があるのは忍穂耳ではなく瓊瓊杵なのだから。司令神を天照大神にしたことによって、奇妙なストーリーにせざるを得なくなったものと思われる。
  2. 一書第二では、はじめに高皇産霊が天児屋と太玉を忍穂耳に随従させる話がある。高皇産霊が司令神であるように見えるが、これは、この前の部分で高皇産霊が大国主に国譲りを迫る話があるためと思われる。一書第二は、前半の国譲り部分では天界の主宰者を高皇産霊とし(本ブログ第12回で述べた)、高皇産霊は大国主に、地上は皇孫(瓊瓊杵)が治め幽界の神事は大国主がつかさどるという統治世界の分担を認めさせた。ところが後半の天孫降臨の部分では、天界の主宰神を天照大神としている。別の時代に出来た話を「書紀」編纂時につなげたのではないか。このためつなぎの部分で、主語を高皇産霊にしたものと思われる。一書第二の天孫降臨神話では、やはり司令神は天照大神であると考えてよいだろう。
  3. 忍穂耳は、「書紀」神代第六段の誓約(うけい)神話において、天照大神と素戔嗚の誓約によって天照大神の子として最初に生まれた男神だ(本文バージョンによる)。天照大神を司令神とする天孫降臨神話を作った人たちは、古くからあってよく知られていた誓約神話を取り入れ、天皇家の始祖瓊瓊杵をその忍穂耳の子とすることによって、瓊瓊杵が神の血筋にあることを具体的に示そうとしたのだろう。
  4. 一書第一、一書第二ともに、天照大神は降臨者に宝物を授ける。一書第一では瓊瓊杵に、一書第二では瓊瓊杵が生まれる前なので忍穂耳に。宝物は、一書第一ではいわゆる三種の神器(資料22)、一書第二では鏡と稲穂だ。宝物の授与は、高皇産霊を司令神とする降臨神話にはなかったことだ。三品彰英によると、祭政史の発達段階として、呪術的な農耕を主体とする原始神話段階から、宗教儀礼が発展した儀礼神話段階に移行していることを示すとされる(「記紀の神話体系」p.127)。ただし、一書第一の三種の神器は王権(統治権)のシンボルとして授与されたと考えられるのに対し、一書第二の宝鏡は、天照大神の言葉にあるように、天照大神自身だ。忍穂耳の守護神ということだろうが、人代において天照大神を祭る伊勢神宮のご神体を暗示しているとも考えられる。宝器の持っている意味が両バージョンで異なっている。三種の神器のうち八咫鏡と八尺瓊勾玉は、「書紀」神代第七段の(あめの)石窟(いわや)神話において、神々が、石窟に閉じこもった天照大神を表に出そうと、真坂樹(まさかき)に掛けた呪具だ。草薙剣は、「書紀」神代第八段において、素戔嗚が退治した大蛇(おろち)の尾から出てきた霊剣で、素戔嗚から天照大神に献上された(本当は、人代において平定された出雲から服属の証にヤマト王権に献上された)ものだ。天石窟神話と出雲の大蛇退治神話が天孫降臨神話に取り入れられている。記紀編纂者はここで、別個に伝承されてきた神話を結びつけ、瓊瓊杵が天界の栄光をまとって降臨したと描こうとしたのだろう。
  5. 一書第一、一書第二ともに、真床追衾は出てこない。北方ユーラシアに由来する古い伝承は失われた、あるいは重要性が薄れたものと考えられる。
  6. 一書第二では、天照大神が忍穂耳に対し、鏡、つまり自身との同殿共床を求めている。はたして「書紀」のこの記述をもって、かつてこの国に同殿共床の風習があったと考えてよいのだろうか。私にはどうも疑わしく思える。というのは、この記述は、「書紀」崇神六年条の、それまで天照大神と(やまとの)大国(おおくに)(たま)神を宮中に祭っていたが(同殿共床)神威が強すぎて両神ともに外に出すことにしたという話、垂仁二十五年条の、(やまと)(ひめ)が諸国巡行のうえ伊勢に天照大神を祭ったという話と繋がっているからだ。垂仁朝から伊勢で天照大神を祭っていたというのが作り話なら、その前は同殿共床だったというのも作り話ということになるのではないか。実際は天武朝から伊勢神宮に天照大神を祭るようになったのに、そのことを隠し垂仁朝からであったとするために、崇神朝以前は同殿共床であった、神代において天照大神が忍穂耳に命じたからだという話が作られたのではないだろうか。
  7. 一書第一では、瓊瓊杵に付き従って天児屋(あめのこやね)(ふと)(だま)天鈿女(あめのうずめ)石凝(いしこり)(どめ)玉屋(たまや)五部(いつとものおの)(かみ)が降臨する。一書第二では、天児屋、太玉とそのほかの伴の神々(原文では「諸部(もろとものお)神」)とされているが、実質同じだろう。この五神は、記紀編纂時の、神祇に関わる有力氏族の祖神だ。そして、天石窟神話において天照大神を天石窟から引き出すのに協力した神々でもある(バージョンによって神名が異なる)。天照大神を司令神とする天孫降臨神話を作った記紀編纂者は、天石窟神話を取り入れ、神々の尽力によって天石窟から表に出て、世界を再び明るくした天照大神を、瓊瓊杵の祖母としたのだろう。そういえば、一書第一冒頭で万幡姫を思兼(おもいかね)神の妹と紹介している。思兼神は、天石窟に閉じこもった天照大神を表に引き出すはかりごとを案じた神だ。一書第一の作者は、その冒頭で、読者に天石窟神話を想起させようとしたと考えられる。
  8. 一書第一では、天照大神が瓊瓊杵に葦原瑞穂国の統治を命じている。その子孫(天つ日嗣(ひつぎ))に対してもだ。この命令は、「天壌無窮の神勅」と呼ばれ、天皇による日本国統治に正統性を与える根幹として、ずっと後の時代まで影響を与えることになる。先に挙げた三品彰英の祭政史の発達段階論によれば、神勅を含む神話というのは、儀礼神話の段階の次の、政治的絶対性を主張する政治神話段階に至っていることを示す。図式的すぎるかも知れないが、基本的にはその通りなのだろう。天皇の絶対性をここまではっきり打ち出すこのバージョンが生まれたのは、記紀の編纂段階、天武・持統朝の頃と考えられる。同じく天照大神を司令神としているが神勅を含んでいない一書第二よりも、成立が新しいと思われる。それにしてもこの神勅の、天照大神が瓊瓊杵に国の統治を命じるというのはお話として理解できるにしても、その子孫にまで効力が及ぶというのはどういうことなのだろうか。使命を代々伝えることを命じているのだろうか。それとも予言なのだろうか。ブログ第13回で取り上げた出雲国造(かむ)賀詞(よごと)の中で、(すめ)御孫(みまの)(みこと)という言葉が使われていた。皇御孫命は、天照大神の孫の瓊瓊杵だけではなく、その子孫である歴代の大王・天皇をも意味していた。出雲国造が初めて天皇に神賀詞を奏上したのが、先に推定したように天武朝初期だったとすると、その頃皇御孫命の概念は少なくとも朝廷周辺には浸透していたと考えられる。とすると、「天壌無窮の神勅」は、記紀編纂時には必ずしも突飛な考え方ではなかったのかも知れない。この問題については今後改めて考えていきたい。
  9. 国譲りとの関係についてだが、一書第二では、忍穂耳が天降りする前に国譲りの話が置かれている。これは高皇産霊を司令神とする本文及び一書第六と同じ構造だ(天降るのが忍穂耳と瓊瓊杵で異なるが)。この結果、国譲りの後まず忍穂耳に天降りを命ずることになり、宝鏡と稲穂の下賜、同殿共床の命令は忍穂耳に対して行われることになった。瓊瓊杵の天降りはその後となる。〈国譲り→忍穂耳の天降り→瓊瓊杵の誕生と天降り〉という流れだ。これに対し一書第一では、国譲りの話を前半(天稚彦の派遣と失敗)と後半(武甕槌と経津主の派遣と国譲りの成就)に分け、〈国譲り前半→忍穂耳の天降り→国譲り後半→瓊瓊杵の誕生と天降り〉の流れにしている。この結果、三種の神器の下賜や「天壌無窮の神勅」は瓊瓊杵に対して行われることになった。読むと、話の展開にストーリー性が加わったように感じられる。
  10. 一書第一では、降臨した瓊瓊杵を猨田彦(さるたひこ)が出迎え日向の高千穂の槵触(くしふる)(たけ)まで案内する。本文、一書第四、一書第二では降臨した瓊瓊杵は国まぎをして吾田に着くが、ここでは案内者が付いたので瓊瓊杵が国まぎすることはない。そして猨田彦自身はなぜか伊勢の狭長(さな)()の五十鈴の川上に行く。一書第一の天孫降臨神話を作った人たちは、人代になって伊勢神宮に天照大神が祭られるようになることをここで暗示しようとしたものと思われる。今も伊勢神宮内宮近くに猿田彦神社がある。猨田彦は伊勢地方土着の国津神と言われている。
  11. 一書第二ではこの後、瓊瓊杵は高千穂峯から国まぎしなぎさに接した平地に着く。地名は明示されていないが、そこで出会う木花開耶姫の本名が神吾田鹿葦津姫であることから、本文、一書第四及び第六と同じく南薩摩の吾田だろう。そして同様に木花開耶姫との結婚、一夜妊娠、火中出産と話が続く。その中で、木花開耶姫の姉(いわ)(なが)(ひめ)を瓊瓊杵が拒絶したために、御子の命が短くなるという話が語られる。人間の生死の起源神話と言われている。皇統を語る話の本筋に関係があるとは思えないが、日向神話に元からあった興味深い話なので、「書紀」編纂者は残すことにしたのだろう。瓊瓊杵がこういう話に登場することで、読者は瓊瓊杵にリアリティを持つようになる、そのような効果をねらったのかも知れない。

(3) 天照大神と高皇産霊の両方を司令神とするバージョン

「古事記」天若日子~邇邇芸命段の要約

天照大御神は、葦原瑞穂国は我が御子忍穂耳が治めるべき国であるとして、忍穂耳を天降らせる。忍穂耳は天浮橋から地上が乱れているのを見て、還り報告する。

(省略:国譲りの話)

天照大御神、高木神((たか)御産(みむ)()()神の別名)が(再び)太子(ひつぎのみこ)天忍穂耳命に「葦原中国を平定したので、申し付けたとおり降って治めよ」と仰せになった。天忍穂耳命は「降る支度している間に邇邇芸命が生まれたのでこの子を降ろしたい」と申した。天忍穂耳命は高木神の女万幡(よろずはた)豊秋津師(とよあきつし)比売(ひめ)命を娶って天火明命、次に邇邇芸命を生んだのである。こうして申したままに邇邇芸命に「葦原瑞穂国は汝の治めるべき国である。よって命令のとおりに降れ」と仰せられた。

邇邇芸命が天から降ろうとすると、天八衢(やちまた)に、上は天を照らし下は葦原中国を照らす神がいる。そこで天照大御神と高木神は天宇受売(うずめ)神に誰なのか問うてくるよう命じた。その神は「国つ神で猿田毘古神です。天つ神の御子が天降りすると聞いたので、御前に仕えようと出迎えています」と申した。

かくて天児屋命、()()(だま)命、天宇受売(うずめ)命、伊斯許理度売(いしこりどめ)命、(たまの)(おや)命、合わせて(いつ)(とも)(のお)を副えて天降らせた。

ここに招ぎし(「先に天石戸の前で天照大御神をお迎えした」の意)八尺勾玉、鏡及び草薙剣、また常世の(おもい)(がね)神、()力男(ぢからお)神、天(いわ)門別(とわけ)神を副えて、(天照大御神は邇邇芸命に対し)「この鏡は専ら我が御魂として、吾が前を(いつ)くように(いつ)き祭れ。次に思金神は御子の統治を取り持ってお仕えせよ」と仰せられた。この二神は五十鈴の宮(伊勢神宮の内宮)に拝き祭っている。なお()由宇(ゆう)()の神は外宮の度相(わたらい)に鎮座する神である。次に天石門別神は御門の神である。手力男神は佐那の(あがた)(伊勢の地名)に鎮座している。

天児屋命は中臣連らの祖、布刀玉命は忌部首らの祖、天宇受売命は猿女君らの祖、伊斯許理度売命は鏡作連らの祖、玉祖命は玉祖連らの祖である。

邇邇芸命は天の御座を離れ、天八重雲を押し分けて降り、天浮橋に立ち、筑紫の日向の高千穂の久士(くじ)布流(ふる)多気(たけ)に降りた。

天忍日命、天久米命の二人が、天石靫(いわゆき)を負い、(くぶ)(つち)の大刀を()き、天波士(はじ)(ゆみ)を持ち、天()鹿児(かご)()手挟(たばさ)み、御前に立って仕えた。天忍日命は大伴連らの祖、天久米命は久米直らの祖である。

ここに「この地は韓国(からくに)に向かい笠紗(かささ)の岬に通じ、朝日が差し、夕日が照る吉いところである」と仰せられ、宮殿を造った。

天宇受売命に「猿田毘古大神はお前がお送りせよ。またその神の名を負ってお仕えせよ」と仰せられた。この故に猿女君らは猿田毘古の男神の名を負っているのである。

(中略:猿田毘古の逸話、天宇受売の逸話)

邇邇芸命は笠紗の岬で美人に遭った。「誰の女か」と問うと、「大山津(おおやまつ)(み)神の女、名は(かむ)阿多都(あたつ)比売、またの名は木花佐久夜売」と答えた。「兄弟(はらから)はいるか」と問うと、「姉に(いわ)(なが)比売がいる」と答えた。「汝と目合(まぐわい)したいと思うがどうか」と仰せられると、「私には答えられない。父大山津見神が申し上げます」と答えた。そこで父の大山津見神に求めると、大山津見神は喜んで、姉石長比売を副え献上物を持たせて奉った。ところが邇邇芸命は、姉は醜かったため返し、妹だけを留めて一宿(ひとよ)婚をした。大山津見神はたいそう恥じて、「石長比売を使えば御子の寿命は永久に堅実になるであろう、木花佐久夜毘売を使えば木の花のように栄えるであろうと誓言を立てて二人の女を奉ったのに、石長比売を返したので御子の寿命は木の花のようにもろくおいでになるでしょう」と申した。こういう次第で今日に至るまで天皇の寿命は長くないのである。

木花佐久夜毘売が参り出て、「妊娠し、今産む時になりました」と申し上げた。命は、「一夜で妊娠したとは、我が子のはずはない。国つ神の子に違いない」と仰せになった。それで毘売は、「私の妊んでいる子が国つ神の子ならば、産むときに無事ではないでしょう。天つ神の子ならば無事でしょう」と申して、戸口のない家を作ってその中に入り、粘土で塗りふさいで、火をつけて産んだ。火の中から、火照命、火須勢理命、火遠理命、またの名を日子穂穂出見命が生まれた。

着目点と考察

  1. 天照大神と高皇産霊の二神が天下りを命じる。天照大神の名を先に出すことに注目したい。「古事記」編纂時点で、天皇家の祖神は天照大神であることが、公式に確定していたからと思われる。それでも高皇産霊も挙げた。高木神の名で。高皇産霊は北方ユーラシア起源の神で5世紀に倭国に伝わったのだろうが、高木神はおそらく縄文時代からの土着信仰に基づく神だろう。神が降下し高木に依り憑くという自然信仰を背景にしていると考えられる。
  2. 初めは忍穂耳に天降りを命じるが、邇邇芸が生まれたので方針変更して邇邇芸を天降りさせる。天照大神を司令神とする「書紀」一書第一及び第二と同じだ。
  3. 忍穂耳は万幡姫を娶り、邇邇芸の前に火明命を生したとしている。これは、高皇産霊を司令神とする「書紀」一書第六と同じだ。
  4. 天照大神と高皇産霊は、邇邇芸に対し葦原中国の統治を命じる。天照大神を司令神とする「書紀」一書第一の「天壌無窮の神勅」と似ているが、ここでは、我が子孫が永久に国を治めるとまでは言っていない。
  5. 天降りする途中の邇邇芸を、天八衢で猿田毘古が出迎える。案内者が付いたので、邇邇芸が国まぎすることはない。「書紀」一書第一と同じだ。
  6. 邇邇芸の天降りに、天児屋、()()(だま)、天宇受売(うずめ)伊斯許理度売(いしこりどめ)(たまの)(おや)命の(いつ)(ともの)()が付き従う。「書紀」一書第一と同じだ。
  7. 三種の神器を邇邇芸に授ける。「書紀」一書第一と同じだ。その冒頭で「招ぎし」と一言書いて、この三種の神器のうち鏡と玉が天照大神を天岩戸から引き出す時に使われたものであることに言及し、天岩戸神話との繋がりを読者に想起させている。
  8. 三種の神器に思金、手力男、石門別の三神を付けている。思金は天照大神を天岩戸から引き出すはかりごとの立案者、手力男は岩戸が少し開いた時に天照大神の手を取って外に引き出した神だ。ここでも天岩戸神話との繋がりを示している。御門の神とされる石門別は、天岩戸神話に登場しないが、名前からして岩戸と関係している。
  9. 天照大神が邇邇芸に「この鏡は我が御魂として」云々と命じる。天照大神を司令神とする「書紀」一書第二と同じだ。
  10. 「この二神は五十鈴の宮に(いつ)き祭っている」は、二神が誰を指すかを含め解釈が割れている。原文は「此二柱神者、拝祭佐久久斯侶、伊須受能宮」である(サククシロは五十鈴の枕詞)。宣長は、『古事記伝』の中で、この二神は天照大神と思金だとしている。しかしそれではどうも意味が通じないように思われる。文脈からすると、天照大神が邇邇芸に対して「この鏡は我が御魂として」と命じ、次に思金に邇邇芸の統治の補佐を命じたのに続くのだから、二神は邇邇芸と思金だろう。武田祐吉訳ではこの二神が現在伊勢神宮内宮に祭られているという意味になる。西宮秀紀は『伊勢神宮と斎宮』においてこれを「邇邇芸命と思金神は『伊須受宮』をあがめて祭った」と解している(同書p.19)。邇邇芸と思金が天照大神を伊勢神宮内宮に祭ったという意味だ。溝口睦子も「この二柱の神は、さくくしろ伊須受宮を拝み祭りき」と読み下している(『王権神話の二元構造』p.212)。西宮の読解と同じだ。私も西宮、溝口説に拠りたい。そうすると、溝口の言うように「古事記」は、「天孫降臨の際に、同時に伊勢神宮の創建も行われたととれるような叙述をしている」ことになる。これは「書紀」の垂仁二十五年創建説と異なる。溝口は、これを、天武朝の末年には伊勢神宮の創建をどのように物語るか「書紀」の(つまりは朝廷の)方針が定まっていなかった、その時点で天武の了承を得た「古事記」草案を完成時に太安万侶が変えなかったためだろうとしている。いずれにしても、この続きで手力男の鎮座地を伊勢の佐那(さなの)(あがた)とわざわざ書いていることを含め、「古事記」は天孫降臨と伊勢神宮とのつながりを強調している。
  11. 国譲りとの関係についてだが、〈忍穂耳の天降り→国譲り→邇邇芸の誕生と天降り〉の流れになっている。「書紀」一書第二と比べると、「忍穂耳の天降り」と「国譲り」の前後関係が逆になっている。その結果、葦原瑞穂国の統治命令や三種の神器の下賜は、忍穂耳ではなく邇邇芸に対して行われるようになった。「書紀」一書第二から改善されたと言える。一書第一はさらに改善を図ったものだろう。上記(2)i.で述べたことと併せ考えると、各バージョンは、〈「書紀」本文、一書第六→一書第二→「古事記」→一書第一〉の順に出来たものと推定される。天界の主宰神を高皇産霊から天照大神に替えるという大方針を受けて、国譲りの話と天孫降臨の話をどのように組み立てるか、その中で古い伝承をどのような形で残すかについて、記紀編纂者たちのたどった苦労と工夫の跡が見えてくる。
  12. 邇邇芸は日向の高千穂の久士布流多気に降る。「書紀」一書第一と同じだ。
  13. 邇邇芸に完全武装した忍日命と久米命が付き従う。ここは高皇産霊を司令神とする「書紀」一書第四と同じだ。やはり神武東征との関連を示唆しているのだろう。
  14. 邇邇芸命は天宇受売に猿田毘古を(伊勢に)送らせ、その天宇受売に猿女君の名を与える。「書紀」一書第一と同じだ。
  15. 邇邇芸は笠紗(かささ)で木花佐久夜毘売と遭う。毘売の父大山津(おおやまつ)()神から姉の(いわ)長比売(ながひめ)も奉られたが醜いからと返し、そのため御子の寿命が短くなる話は、「書紀」一書第二と同じだ。木花佐久夜毘売との一夜妊娠、火中出産の話は「書紀」の各バージョンと基本的に同じだ。
  16. こうして見てくると、「古事記」バージョンは、「書紀」の高皇産霊を司令神とするバージョンと、天照大神を司令神とするバージョンから、それぞれ物語の要素を抽出し総合して、ひとつの分かり易い物語に組み立てていることが分かる。その上で「古事記」は、g、h、jで述べたように、天岩戸神話の主人公天照大神が邇邇芸の祖母であって、皇祖神として伊勢神宮に祭られていることをさらに強調している。それが太安万侶の言いたいことだったのなのだろう。

2 天孫降臨神話の変遷過程

以上見てきた記紀の天孫降臨神話の各バージョンを、そこに記された瓊瓊杵の系譜を中心に図示すると資料23のようになる。変遷の過程から、3つの段階に分けることができる。

各段階の神話の要点をまとめ、天孫降臨神話がどのようにして変遷したかを考える。

第一段階

第一段階(「書紀」一書第四から推定される内容)の要点

・高皇産霊が瓊瓊杵を真床覆衾にくるみ天界から地上に降ろす。忍日と大来目が武装して随従する。瓊瓊杵は高千穂峯に降臨する。

本ブログ第9回及び第14回で、国譲り神話の初めの姿は、大国主が瓊瓊杵に国を譲るよう高皇産霊から迫られ、これに応じる話(「書紀」本文前半。国譲り神話①)であり、瓊瓊杵が天降りすることを前提にしている、国譲り神話が初めて出来るその前に天孫降臨神話が既に成立していたことを示していると述べた。原初の天孫降臨神話が仮に日向への降臨話であったとしたら、それを前提にして出雲で国譲りが行われる話ははたして出来ただろうかと考えると、それはなかっただろう。そうすると、原初の天孫降臨神話では降臨地は日向と特定されておらず、単に高千穂峯ということだったと考えられる。

記紀の各バージョンでこれに近いのが「書紀」一書第四だ。ここには、瓊瓊杵が木花開耶姫を娶って彦火火出見らを生す話が含まれていない。瓊瓊杵が降臨した後国まぎして吾田の笠狭に着くという記述があるが、この部分が後世に付け加えられたものだとすると、元は日向との関係はなかったことになる。

原初の天孫降臨神話は、高皇産霊が、大王家の始祖となる瓊瓊杵を真床覆衾にくるみ天界から葦原瑞穂国の高千穂峯に降らせる、それに武装した大伴と久米の祖神が随従するというものであったろう。ブログ第14回で仮定として置いた天孫降臨神話①に当たるものだ(資料24)。5世紀後半、雄略朝の頃に、原初の神武東征神話①とともに出来たと考えられる。この点については、今後さらに考えることにしたい。

第二段階

第二段階(「書紀」本文、一書第六)の要点

・高皇産霊は瓊瓊杵を格別に可愛がり、葦原中国の君主にしようと思った。

・国譲りがなされた後、高皇産霊が瓊瓊杵を真床追衾にくるみ天界から地上に降ろす。瓊瓊杵は日向の高千穂峯に降臨する。

・瓊瓊杵は国まぎして吾田の笠狭に着き、大山祇の女木花開耶姫と出遭う。姫は一夜で妊娠し、火中で彦火火出見らを出産する。

第二段階においても天界の主宰神は高皇産霊だ。高皇産霊が瓊瓊杵を葦原中国の君主にするために、真床追衾にくるみ天降りをさせる。第一段階と異なるのは、降臨地が日向の高千穂峯であり、そこから国まぎして笠狭に至り、木花開耶姫を娶って彦火火出見を生すことだ。天孫降臨神話がここで日向と結びつく。なぜか。日向神話の中の木花開耶姫の物語を取り入れて、大王家の二代目と伝承されてきた彦火火出見の出自を具体化するためであったと思われる。

この第二段階の物語が出来たのはいつ頃のことであったろうか。「書紀」に日向が登場するのは、まず景行紀だ。天皇が熊襲征討中、日の出る方に向いている国として日向と呼んだという話がある。次に履中紀に、太子(履中)の弟に隼人の近習がいたと記されている。次に清寧紀に、雄略天皇の埋葬時、隼人が哀しみ叫んだという記事がある。近習として雄略に仕えていたのだろう。同じく清寧四年条に、「蝦夷・隼人がともに内附した」とある。次に欽明元年条に、「蝦夷と隼人がともにその族を従えて帰順してきた」とある。隼人は8世紀前半までしばしば朝廷に反乱を起こしたが、欽明朝の頃には基本的に服属するようになっていたと考えられる。内容が豊かで大和人にも内容が知られていた日向神話を王権神話に取り入れることに、朝廷の人たちは最早抵抗感をもたなかったと思われる。

また、皇位継承の歴史をたどると、継体朝から欽明朝の頃には、皇位継承に当たって父方だけでなく母方の系統も重視されるようになっていたことが分かる。大王家の始祖についても、瓊瓊杵―彦火火出見父子であるというだけでは足りず、それぞれの出自を具体的に示す必要が生じていたものと思われる。

第二段階の天孫降臨神話は、ブログ第14回で仮定した天孫降臨神話②に当たる(資料24)。成立したのは6世紀中頃、帝紀・旧辞の中においてであると考えられる。一方この頃、国譲り神話の中に、高皇産霊から大国主に対し、杵築大社の造営が国譲りの条件として提示される話が盛り込まれる(「書紀」一書第二前半。国譲り神話②)。日向への天孫降臨と、出雲における国譲りが、それぞれの必要から並存するようになった。

第三段階の1

第三段階の1(「書紀」一書第二)の要点

・国譲りがなされた後、天照大神が御子忍穂耳に天降りを命じる。天照大神は忍穂耳に宝鏡を授け、この鏡を自分と同一とし、同殿共床するよう命じる。また、斎庭の稲穂を授ける。

・高皇産霊の女万幡姫を忍穂耳に娶らせる。忍穂耳が天降りする途中で瓊瓊杵が生まれる。このため天照大神は、忍穂耳に代えて瓊瓊杵を天降りさせる。天児屋、太玉とそのほかの伴の神々を付ける。瓊瓊杵は日向の高千穂峯に降臨する。

・瓊瓊杵は国まぎして吾田に着き、大山祇の女木花開耶姫と出遭う。姫は一夜で妊娠し、火中で彦火火出見らを出産する。

第三段階は、天界の主宰神、天孫降臨の司令神が高皇産霊から天照大神に替わることによって、それ以前から画される。なぜ主宰神・司令神が替わったのか。このことについては今後改めて考えることにして、ここではその大方針のもと、記紀編纂に携わった人たちがどのような対応をとったかを見ていくことにしたい。

司令神を天照大神にしたために、天照大神が御子忍穂耳を差し置いて孫の瓊瓊杵に天降りを命じることは不自然になった。このため第三段階の1、2、3共通に、天照大神はまず忍穂耳に天降りを命じ、その後忍穂耳に子の瓊瓊杵が生まれたため、忍穂耳に代え瓊瓊杵を天降りさせるという筋書きになった。これでも不自然さは否応なく残る。それでは忍穂耳を降臨させ忍穂耳を天皇家の始祖にすればよいではないかと思ってしまうが、そうはいかない。天皇家には瓊瓊杵―彦火火出見父子の始祖伝承があり、これを変えることはあり得なかったのだ。不自然でも止む無しと判断したのだろう。

第三段階で重要なのは、誓約神話を皇統に取り入れ、天皇家の始祖瓊瓊杵を、天照大神が素戔嗚との誓約で生んだ第一子忍穂耳の子としたことだろう。これで瓊瓊杵が神と血でつながった。

第三段階の各バージョンが成立したのは、天武が史書編纂を命じた天武十年681から「書紀」が完成した養老四年720までの間だ。

第三段階の1では、国譲りに続いて、天照大神は忍穂耳に天降りを命じる。このため宝鏡の下賜や同殿共床の命令はまず忍穂耳に対してなされ、降臨者が瓊瓊杵に代ってからそれらが引き継がれるという流れになっている。

日向に降臨した瓊瓊杵が吾田で大山祇の女木花開耶姫を娶り彦火火出見らを生す話は、第二段階から変わらない。

この第三段階の1バージョンは、同3バージョンとともに、ブログ第14回の天孫降臨神話④に当たる(資料24)。国譲り神話の方では、葦原中国の平定に使者を送る主体は、天孫降臨神話に合わせ、高皇産霊から天照大神に替わっている(「書紀」一書第一前半。国譲り神話④)。

第三段階の2

第三段階の2(「古事記」天若日子~邇邇芸命段)の要点

・天照大御神が、葦原瑞穂国は我が御子忍穂耳が治めるべき国であるとして、忍穂耳を地上に降ろす。忍穂耳は天浮橋から地上を見下ろし、地上が乱れていることを報告する。

・国譲りがなされた後、天照大御神と高木神は忍穂耳に(再び)天降りを命じる。忍穂耳が支度をしていると、忍穂耳と高木神の女万幡姫との間に邇邇芸が生まれる。忍穂耳は邇邇芸を降らせるようを進言する。邇邇芸に対し葦原瑞穂国の統治命令が下される。猿田毘古が出迎える。五伴緒を随従させる。三種の神器を授けるとともに、この鏡を我が御魂として斎き祭るよう命じる。思金・手力男・石門別を副える。邇邇芸は日向の高千穂峯に降臨する。忍日と久米が武装して随従する。邇邇芸は天宇受売に猿田毘古を伊勢に送らせる。

・邇邇芸は阿多の笠紗にて大山津見の女木花佐久夜毘売に出遭う。毘売は一夜で妊娠し、火中で日子穂穂出見らを出産する。

第三段階の2では、国譲りの前に、忍穂耳へ天降りを命じる話が置かれている。こうすることによって、国譲りがなされた後、邇邇芸の誕生、邇邇芸への天降り命令へとつながっていく。葦原瑞穂国の統治命令や三種の神器の下賜は、邇邇芸に対してなされる。太安万侶の知恵だろう。

三種の神器の由来は、天岩戸神話と素戔嗚の大蛇退治神話にある。別個に伝承されてきた神話が取り入れられ、瓊瓊杵の降臨が荘厳化されている。

三種の神器の下賜とは国の統治権を与えることを意味する。また、単に瓊瓊杵が天降ったというだけではなく、葦原瑞穂国の統治命令が邇邇芸に対し下されたとはっきり書かれている。このバージョンに至って天孫降臨神話は、天皇による国の統治を正統化する政治神話になったと言ってよいだろう。

先に述べたように、「古事記」バージョンは、それ以前のバージョンに記された様々な話の要素を巧みに盛り込んで一つの話に仕上げている。邇邇芸に随従する神々の顔ぶれにもそれが現れている。

「古事記」バージョンのもう一つの特徴は、伊勢神宮との関りを強調していることだ。記紀編纂時代に伊勢神宮に天照大神が祭られたことを反映していると考えられる。この点についても今後改めて考えてみたい。

日向に降臨した瓊瓊杵が吾田で大山津見の女木花佐久夜毘売を娶り日子穂穂出見らを生す話は、第二段階及び第三段階の1と基本的に同じだが、降臨してから阿多の笠紗まで、国まぎではなく猿田毘古に案内される点が異なる。これも伊勢神宮との関わりを語ろうとしているものと考えられる。

第三段階の2「古事記」バージョンは、ブログ第14回の天孫降臨神話③に当たる(資料24)。対応する国譲り神話も③だ。

第三段階の3

第三段階の3(「書紀」一書第一)の要点

・天照大神は葦原中国平定のため天稚彦を送るが失敗する。

・天照大神は、万幡姫を忍穂耳の妃とし、忍穂耳を葦原中国に降らせる。忍穂耳は天浮橋から地上を見下ろし、地上が乱れていることを報告する。

・国譲りがなされた後、天照大神が(再び)忍穂耳を天降りさせようとすると、瓊瓊杵が生まれる。忍穂耳の奏上を受け天照大神は、忍穂耳に代え瓊瓊杵を降らせることにする。三種の神器を授け、五部の神を随従させる。天壌無窮の神勅を発する。猨田彦が先導する。瓊瓊杵は日向の高千穂峯に降臨する。天鈿女が猿田彦を伊勢に送る。

(一書第一には、瓊瓊杵が木花開耶姫と出遭い彦火火出見らが生まれる話は書かれていない。本文と同じなので省略されたものと思われる。)

天降りするのが忍穂耳から瓊瓊杵に代る過程の描き方について、第三段階の3は、2の「古事記」バージョンからもう一工夫されている。国譲りの話の途中に忍穂耳天降りの話を入れたのだ。不自然さがもう少し和らいだように思える。

第三段階の3バージョンの内容で最も重要なのは、天照大神が瓊瓊杵に対して「天壌無窮の神勅」を発することだ。瓊瓊杵の子孫に対してまで葦原瑞穂国の統治を命じている。日本国は未来永劫代々の天皇が統治する国であると宣言したことになる。このバージョンが、天孫降臨神話の完成形と言ってよいと思われる。

さて「天壌無窮の神勅」は誰が考えたのだろうか。「書紀」に盛り込むことを決裁したのは誰だろうか。天武天皇だろうか。もし天武が決裁したのなら、第三段階の1や2のバージョンは違っていた、あるいはなかったように思える。とすると誰だろうか。この点も今後改めて考えていこうと思う。

(次回に続く)

(参考文献)

大林太良『日本神話の起源』1990、徳間文庫(原著は1961年)

岡正雄「日本民族文化の形成」(『岡正雄論文集 異人その他』1994、岩波文庫)、原著は1956年

溝口睦子『王権神話の二元構造』2000、吉川弘文館

小池伸彦『古代の刀剣』2022、吉川弘文館

三品彰英「記紀の神話体系」(『三品彰英論文集第1巻 日本神話論』1970、平凡社)、原著は1969年

西宮秀紀『伊勢神宮と斎宮』2019、岩波新書